toggle
2019-01-16

成人式の1年前の話

今日は息子の成人式でした。

今まで支えてくださった皆さんのお陰です。
本当にありがとうございました。

息子がまだ小学生の頃、
2人でテレビを観てた時、
とあるシングルマザーの再現VTRをやってたのですが、
お涙ちょうだい的な寂しい演出だったんですね。

それを観て、
同じ立場の私のことを可哀想に思ったのか、

息子は、

「母ちゃんは俺がいるからシングルじゃなくてダブルだよ」

と言ってくれました。

そんな優しい息子は、

時に問題行動や、
修復不可能と思えるトラブルがありつつつも、

いつも冗談を言って笑い合ったり、
よく大事な話し合いもできてたので、

そこそこの親子関係を作れたのでは、
と思っていたのですが、
ある日それが私のただの思いこみだったことが分かったんです。

高校卒業後、海外留学の専門学校に1年通っていた息子ですが、
いよいよ卒業して留学先の大学を決める時、

やっぱり行かないと言い出しました。

ずっと様子がおかしかったので、
それは予想通りだったのですが、

その時初めて息子が話した本心に、
私は立ち直れないくらいのショックを受けました。

私の子育てのスタンスは、
世間を基準にではなく、
自分がやりたいこと、大事にしたいことをノビノビとやってもらう、
本人に考えさせて決めさせる、
でした。

なのに、息子は今まで本心で自分のやりたいことを選べなかった、

大学留学も良かれと思って選んだだけだったと言うのでした。

そして、それは小さい頃からあまりにも母ちゃんが弱すぎて、
母ちゃんがいなくなったら
自分も生きていけないという不安がいつもつきまとっていたからだと。

だから、やりたい事やらせてもらっても、
自分だけ好きなことをすることに
罪悪感を感じてできなかった、

そんな環境で育てられたことを恨んでいると
私に感情をぶつけてきました。

思えば、社会経験も働くスキルもほぼないまま、
1人で1才の子どもを育てなくてはいけなくなったので、

仕事できるようにならなくちゃ、
もっと無理しなきゃ、

と追い込んだ体の限界と、
子育ての精神的負担などの複合的なストレスから、
その内鬱病になり、長い間苦しむ事になりました。

酷い時は仕事もできず半年くらい寝込んでいたり、
体が病気になって2ヶ月寝込んでいたり、

それが治った後も、体が鉛のように重くて、
座って休まないと料理ができない期間が息子が15才位まではずっと続いていました。

そうやって、
どうしようもなく1人で育ててきた環境や、
どうしようもなく無理に頑張ったことが、
逆に、
これだけは、とこだわってきた子育てを台無しにしていたなんて。

今まで積み重ねた20年近くが、
全部間違っていました、とガラガラと音を立てて崩れるようで、

なんのために生きてきたんだろうと、
なんのために苦しんできたんだろうと、
情けなく、息子に申し訳なく、ショックでした。

でも、あの頃は心身がダメになっていっても
やらなくちゃ2人で生きていけなかったし、

じゃあ自分はどうすればよかったのか。。。

振り返ってみても答えが分からず、
グルグルとどうしようもない感情に埋め尽くされました。

でも、息子は母親を責めても可哀想なだけ、
と思って、
そんな自分の葛藤をずっと言えずにいたんです。

だから、
初めて母親に恨み節をぶつけられた事が
とても息子にとって良かったと思いました。

なので、
今まで気を使って言えなかった事があったら
もっと母ちゃんにぶつけていいよと、

その日は夜遅くまで
積み重ねたものが間違いだったことを思い知らされる
辛い時間が過ぎていきました。

息子は私に思いをぶつける事ができたお陰か、
その後とてもノビノビと生活するようになり、

私もそんなセッションが
息子が生き直すきっかけになったのなら良かったと思いました。

でも、私は無力感や情けなさ、
取り戻せない過去への悔しさなどが日ごとに増すばかりでした。

よく、
子どもが生まれると親の気持ちが分かる
と言いますが、
私は逆でした。

息子が生まれた頃、

子どもはこんなに可愛いものなのに、
どうして私はあんな事をされたんだろう、
なんであんなに残酷な事を言われたんだろうと、

過去を振り返って悲しみを強めるだけでした。

そして、
私ならもっと子どもを幸せにできる、
私ならもっと安らぎに満ちた家庭を作れる、
そう思うことで過去を解消させようとしていました。

なのに、
そんな格闘を20年やった結果はブザマなものでした。

結局、
私も同じように子どもを
安らぎの中で育ててやることができなかったんです。

一番なりたくない親に私もなっていた。

そんな打ちひしがれる中で、
私の方が幸せな家庭にできる、
そう思った、
親になりたてのあの頃に、
ぼんやりともう一度戻っていました。

そういえば、
息子が生まれたばかりの頃は、
小さな頭を手のひらに乗せて、
指で両耳を抑えながら小さい桶でお風呂入れてたなぁと。

そうか、私も生まれたばかりで何もできない頃は、
親にそうやってお風呂に入れてもらってたんだなぁと、

もしかして私も愛されていたのかなぁ、

結果的に傷ついたり、
耐え難いものを味わったけれど、

そこに行き着く前に、
本当は幸せにしてあげたいと
思ってくれてたのかなぁ、

私が息子にそう思ってできなかったように。

そう思ったら、

過去の未熟だった私の親と、
現在の親になった未熟な私が、
あまりにも長い長い時間を経て出会って答え合わせをしたようで、
ボロボロ泣けてきました。

少し経った頃、
女性の踊りの先輩に子どもの事を聞かれ、
思わず息子に言われた事を打ち明けました。

すると、

「誰だって思うように育てられないのよ。
でも、自分で精一杯の事をやりきったと思わなくちゃ」

と励ましてくださったんです。

振り返ると後悔ばかりだけど、
その時にはどうしても
それしかできなかった。

これからを生きるために、
そう一旦受け止めてもいいのかもしれない。

そう思うことができて、
本当に救われました。

思えばどこかで、

今までの苦しかったことも、

ハタチになった時に幸せに暮らせていたら報われる、
ハタチまで育てよう、
ハタチまで頑張ろうと、

私の中で勝手にハタチが子育てを終えられる時、
つまり結果が出る時と決めつけていたのでした。

だから、ハタチを目前に、
得たい結果が得られなかったことに
ショックを受けていたのかもしれません。

でも、子育ての結果は息子がもっと大人になって、
子どもができた頃に出るのかもしれないし、
もっとおじさんになってから出るのかもしれない。

その時にトントンになっていればいいじゃないか。

まだ道の途中なんだ。

最近はそう思えます。

 

今朝は快晴でした。

早起きをして、袴を着付けてやりました。

 

大きな鏡の前、
2人だけの厳かな時間。

息子の背中で
キュッと帯を結ぶ。
キュッと袴の紐を結ぶ。

淡々と仕上げていく所作の度に、

親としてのケジメがひとつひとつ
ついていくようで、
子育てがひとつひとつ完成していくようで、

なんだかこみ上げてくるものがありました。

でも、着付けはイマイチ(笑)

まぁ、でもいつまでもポンコツくらいで丁度いいのかな私は。

いつでも道の途中なのだから!

 

タグ:
関連記事