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2017-09-23

自信がなくても自信を持てるようになった訳

今から20年近くも前の話です。

私は大学卒業後、23才で結婚・妊娠をしたので、それはも〜う、新卒でバリバリ働いてる友人に遅れを感じていましたし、働きはじめてからも、自分は何もできないっていうコンプレックスで、いつも自信のなさを感じていました。

でも、ひとりで子どもを育てなくちゃいけないので、焦りはかなりのものでした。

で、その焦りと自信のなさをどうしたかっていうと、何が自分に足りないのかアホ真面目に考えて、本を読んで勉強したり、自分でパソコンでの資料作りとかの課題を作ってクリアしたりすることで、あるべき姿との隙間を埋めよう埋めようとしてたんです。

 

学生時代は、怒られて反省して悪いところを直すということの繰り返しで大きくなっていきますよね。

そういう、「今より成長すること」「できないことはできるように努力すること」っていう学生時代の感覚を、社会人になってからも無意識に引きずっていたので、自分の足りないところを埋めることはイイコト、当然の事と思って疑いもしませんでした。

 

そう、疑わなかったんです。それから十数年間も(笑)

 

でも、いくら頑張っても、

自分て駄目だ〜自分てあれも出来ない、これも知らない、もっと勉強しなきゃ〜、失敗しないようにしなくちゃ〜

って思っては、そのあるべき姿とのギャップをせっせ、せっせと埋める作業は、いつになっても終わらなかったんです。

 

で、ある日道路でぶっ倒れて2ヶ月間自宅療養をすることになった時に、

「もう無理」

ってやっと気づけたんですね。(遅っ)

 

人は一生成長を続けていかなくてはいけないとか、聞いたりするじゃないですか。だから、できない事を放っておくのはただの怠慢って思ってしまってました。

でも、気付いてしまいました。

 

「あ・・・もしかして私、たいした人間じゃないんだ・・・(・∀・)」

 

努力すればまともな人になれるとか思っちゃってたんですかね。恥ずかしいです。

 

家の本棚にギュウギュウに積まれた本の山を見て、この本の数だけ、自分はバカだと否定して勉強しなきゃと真面目に反省したのかと思ったらウケました(笑)。なんていじらしいんだろう?って笑えました。

 

自分はできないことだらけ、知らないことだらけ、それでいい。
そう思って、好きな本以外、100冊くらい捨てました。

 

そう、子どもの頃から当たり前のように成長を続けてきて、

「あ、自分ってこのくらいの大きさが本当の自分なのかな」

って、身の程を知って自分の輪郭を掴み、それ以上の成長を諦められた時、

それが私が大人になれた瞬間かもしれません(笑)

 

それからは、「〜が足りない」「〜すべき」という「現状を否定してギャップを埋めるため」の考えではなく「〜したら楽しい」「〜がしたい」という「現状を肯定してそこに幸せを上乗せするため」の考え方を軸に生きれるようになりました。

そして、ダメな自分も人前で素直に出せるようになっていったんです。

 

でも、長年の癖はそんなにすぐ完全に消えるものではなく、自分を否定したり、無理に成長しようと思ってしまうことが度々ありました。

 

そんな中で、また自分の考えのベースが変わるできごとが起こりました。

 

ある日、私は「人間ってスゴいな〜」って一人で考えごとをしていました。

 

人間には60兆個もの細胞があって、5〜7年で全部生まれ変わってるんだー!とか、

毎日がん細胞の元になる細胞が3000個くらいできてるのに、免疫細胞が殺してくれてるんだ〜とか、

大怪我しても修復してくれるしスゴい!とか、

何十年も前のこと、思い出せなくても、脳は記憶してるなんて驚愕のコンピューターだなとか。

ほんと、神秘的で驚異的な素晴らしい生き物だと。こりゃ、ドラえもんよりも欲しいかも?と。

 

で、ふと思ったんです。

 

「あれ?

この素晴らしく精巧な生き物、私も1匹持ってるぞ。この私!(・∀・)(笑)」

 

そう、私が神秘的だなー、驚異的なコンピューターだなーって思ってた人間っていう生き物を既に私は「私」という存在で所有していたのでした。

そうしたら、すんごい高価なギフトを授かっちゃったなぁ〜っと、自分という生き物を客観的に捉えられるようになったんです。

 

で、この生き物の機能を最大限に活かしてみたら、人間ってすご〜いって感動できるかも?なんて思い始めました。

そうすると、もう人と比べてあれができないとかなんてどうでもいい次元になってきます。

ポンコツな所なんてスルーして、もっとこの人間に楽しいことやらせてみようってなるわけです。

 

そうやって、試しに面白そうなことやらせてみると、

押さえられなかったギターのコードが抑えれるようになってる〜とか、

出来なかった車の運転ができるようになってる〜とか、

人間ってこんな年になっても、できなかった事ができるようになるんだ〜すごーい♪って、

自分で自分を面白がれるようになったんですね。

 

そう、不思議なんです。

成長を諦めたはずなのに、好きなことに関しては、結果的に成長してたりするっていうパラドックスに気づくんですね。

反省と努力を止めたら堕落するのみじゃないかなんて心配しなくても良かったってことです。

 

ただ、ポンコツな部分はポンコツのままなので、それをダメって言われたらそうなんですが。

でも、ポンコツ人としては、ポンコツの私をフォローしてくれる人や、自分ができないことをできる人への尊敬と感謝の気持ちを果てしなく持てるので、本人はいたって心穏やかなのです。

何でも完璧にできるかわりに、あいつはあんな事もできない!っていつも周りにイライラしてる人生より幸せかな〜って思います。

 

自分を否定して、あるべき姿とのギャップを埋めようと無理することを止めて、

そして、人間っていう生き物である自分は素晴らしいギフトであると気付いて、

その機能を面白がれるようになったら、

なんだかダメな自分の未来も信じられるようになってきました。

 

人よりスゴいって思うのが自信じゃなくて、

自分の能力スゴいって思うのが自信じゃなくて、

人よりダメでも自分の未来をなんとなく信じてやれることが自信なのだとしたら、

長い時間がかかったけど、今は自信が持ててる状態(自分を信じれてる状態)なのかな〜?って思います。

 

 

人より優れた特技を持たないと自信を持てない、と信じ込んでいる若い息子も、

いつか同じように感じてくれる日がくるかな?という母ちゃんからの願いを込めて。

 

 

 

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