toggle
2018-01-11

何のために仕事をするか

このために仕事してますとか

これが無かったら仕事している意味がないとか

人それぞれあるけれど

私はやっぱり自分が感動するためじゃないとやれない気がする

 

「お客様に喜んでいただくために仕事してます」

「お客様の笑顔が私のやりがいです」

そういう心意気があるのはよい事だけど

 

それが仕事の最終目的というか

唯一のモチベーションになってしまっては不健全な気がする

 

三島由紀夫が

「自分のためだけに生きて、自分のためだけに死ぬというほど人間は強くない」

と言っていたけれど

 

大義を自分の外側に置いて

外から承認されないと満たされない弱さがあるとしたら

その裏返しとしてお客様に褒めてもらうことを悦びとして

そこが仕事の目的になってしまっては

何だかお客様を自分の欲求を満たすために利用しているような気もする

 

他人のためにやるほど自己満に思えるから不思議

 

 

もちろん私もお客様の事を考えて仕事する

 

私にはお客様が2人いる

1人はオーダーしてくださった方

もう1人はそのお花を贈られる方や会場などで目にする方

 

 

贈られる方がどうしたら嬉しいか

シチュエーションや空間や気持ちをあれやこれや頑張って考える

 

そしてオーダーしてくださった方にも恥はかかせたくないし

お花で人を喜ばせる事ができたという感覚を持ってもらえたらいいなとも考える

 

それでお客様に喜んでいただけたら嬉しいけど

でもそれは承認欲求が満たされたとかじゃなくて

当然のことが果たせた安堵感かも

 

そこまで行く前に

私の場合は花との関係があるから

そこで感動やときめきが完結している気がする

 

花の個性や美しさの可能性に触れた時

もうこのときめきのためなら寒くて眠くても市場行く!ってなる

 

自分の感動のために仕事してるって言ったら

世間的には聞こえが悪いだろうな

 

だけど

「たくさんの人に感動してもらいたいから、俺、歌うたい続けます」

っていうミュージシャン 

それホント?って疑っちゃう

 

「患者さんの健康のために我々は全力を尽くします」

っていう医者より

「内視鏡でポリープ取る時の感触が快感なんだよね〜」

とか人知れず夢中になってる医者がもしいたら

その方が信じられるな

 

人にどうこう思われる前に

目の前の仕事そのものに面白みがあって

そこに没頭できるから続けたいと思える

 

だけど

私が深く感動するほどお客様に喜んでいただけるというサイクルを確立させるために

自分の感覚が独りよがりでないように

さらに研究やお稽古を重ねなくてはと思う

 

でも自分の感動のためにやってるから

もっと勉強したい!って自然に思えてしまう

好きって気持ちは

世間でいう“努力”ってものを自動化できる

結局それがお客様のためにもなると信じたい

 

自分のためだけに生きて、自分のためだけに死ねる人間は強い。

 

 

 

 

オートクチュール・フラワーブランド「装花TOKYO」

「装花TOKYO」は、店舗を持たないアトリエスタイルのオートクチュール・フラワーブランドです。命ある生花のみを使い、特別なシーンのフラワースタイリングをオーダーメイドでご提供しています。

オーダー内容

商品ディスプレイや撮影用プロップ、プロモーションイベントのフォトブース作りなど、特別なシーンにおいて、草花が持つ命のインパクトと視覚的魅力を活かした空間づくりをサポートしています。

オーダーメニュー 【定期装花/撮影のフラワースタイリング/イベント装花/お祝い花など】
作品ギャラリー
装花TOKYO フラワーデザイナー 杉山香林について
お問い合わせ・ご相談

instagram
http://instagram.com/karin_sugiyama

Facebookページ
http://facebook.com/sokatokyo

 

 

関連記事