懐かしい手紙
昨日、探し物をしていたら、20年以上も前、二十歳前後にやりとりした手紙がいっぱい出てきた。
差出人名のアルファベット別に整理されたジャバラ式のファイルケースが、ダンボール一箱分埋まるくらい入っていたから、おそらく200通以上はありそう。
大学生の時に家庭教師をしていた小学生の姉妹からの手紙や、
男友達と生きる価値や人生哲学について語った手紙、
留学中の友人が英語で書いてくれた初々しいエアメール、
それから、自分が大学の授業中にこっそり回して、質問に答えさせて戻ってきた手紙も(笑)
携帯は私が大学3,4年の頃に普及し始めたんだっけな?
なので、個人的に繋がる電話もLINEもなく、会ってない間の暮らしをSNSで覗けることもなかった。
だから、今よりずっと日常的に手紙が人間関係を繋げていたような気がする。
直接渡されたノートの切れ端や、封筒がパンパンになるくらい枚数の多い手紙。
書き手の思いの軽さも重みも、そのまま手紙の質量に現れてて面白い。
隠れて渡す、鞄や自転車のカゴにこっそり入れておく、数日待って返事が来るっていうような、受け渡しとタイムラグのバリエーションもいろいろあったな。
今も仲良くしてる人からの手紙は今の顔が浮かんだのに、
大好きだったのに、もう二度と会えない人からの手紙は、二十歳の頃の顔しか浮かばなかった。
今頃どうしてるだろう。
中には、私を傷つけた事を謝罪する手紙や、
私が傷つけた人からの許しの手紙などもあった。
(おそらく私が謝罪の手紙を出した返事なのでしょう)
せっかく出会ったのに傷ついたり傷つけたり。
私が傷ついた方だとしても、傷つけた相手も、人を傷つけてしまったという事実に傷ついていたかもしれない。
これまでの人間関係、うまくいくことばかりじゃなかったけど、
私には、ダンボール一箱分の手書きの言葉をくれる人がいたこと、そして私もおそらく同じくらいの数を贈っていたということ。
そこには、確かに若かったその時の精一杯の愛情が詰まっている。
未熟な時代に不器用にもがく自分の不甲斐ない後ろ姿を見たような気がして、
生々しい手紙の数々との再会は、感傷的な感覚を長く引きずらせるものでした。
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