食事の快感
家を長く空けていたら、ぬか床が死んでました。
新しく作り直したら、絶望的に塩辛くなってしまいました。
なんとか調整します。
このお皿はぬか床専用のお皿。
黄色に青い模様が映えていて、可愛くてお気に入りです。
なんでも、バナナヨーグルトだけ入れる専用お皿、
目玉焼きだけのせる専用お皿など、
食べるものに合わせて専用のお皿を決めています。
そうすると、何だかとっても愛着が湧きます。
入院してる時は、食べることしか楽しみがなかったですし、ガリガリに弱ってしまったので、元気になりたいから、3回のお弁当の配給を大事にしていました。
そうすると、何も見ずに黙って目をつぶって、何度も何度も噛んでゆっくり食べるようになります。
ブロッコリーの食感、大根の食感、優しい魚の味わい。
それらをものすごくシャープに脳内で感じます。
すると、自然に、これ誰が作ったんだろう?誰がよそってくれたんだろう?みたいに、ありがたさがこみ上げてきます。
そして、この食べ物たちが自分の身体を作って治してくれる事が本当にありがたくて、身体の中へいってらっしゃい!よろしくね私の身体!という感覚で胃に見送ります。
毎日当たり前のように食事をしてきて、
でも、その食事の内容や時間は何時にでかけるから何時までに済ませて、、、という都合から逆算したものになっていました。
でも、入院という時間が無限にあるような環境におかれて、
都合からの逆算ではなく、食事に必要な時間と過ごし方をしてみたら、本当はすごく食べるのに時間がかかることが分かりましたし、本当は食事ってこんなに人間にとって快感を与えてくれる豊かなものなんだと気づくことができました。
心を満たすために、人は趣味や良からぬことに快楽を求めて依存したりってことがありますが、生活の中で、1日3回することに、こんなにも快楽が潜んでいるとは、他に快楽を求めなくたっていいんじゃないかってくらいです。
もちろん、美味しいってことは大事なことですが、そういうことじゃなくて、大地や水や火や種のエネルギーで取り込んで身体を作っていくという営み自体が美しくて、ありがたくて、それが生理的快感にもつながってる。
味覚障害だったからとか、入院のお弁当生活だったからとか、
だから食事のありがたみが分かったっていうレベルの話ではなく、
食事ってものと真剣に向き合ってみた結果、本質的な喜びを知ってしまった感じです。